2016/07/18

[兵庫] 旅の最終日は神戸で朝練(笑)です 16.07.18


神戸




 旅の最後に神戸に滞在。
 波止場の展示に来ていた小山さんと、神戸の朝練です。






朝練の始まり


 写真展のために神戸入りしていた「すずゼミ二期生」の小山さんと神戸の朝練!
 神戸はあまり馴染みがないらしいので、定番をフラフラと。

 集合は三宮駅。
 当時まだ健在だったおっぱい広場に集合。

 待ち合わせのメッカなんだけれども、どうやらこの後閉鎖されたらしい。
 まぁ、おっぱい公園とか、ぱい山とか名づけられた時点で、このご時世アウトだろうなぁ。
 そういうのを許容する余裕が世の中になくなっているから。
 残念といえば残念だけれども、まぁ、別に・・・って感じか。



神戸 三ノ宮




 驚きの軌跡が積み重なって無事合流。
 三宮のガード下などをウロウロ。

 小洒落た神戸のガード下って良いよなぁ。
 ヨコハマにはガード下文化ってすっかりなくなってしまった。


神戸 三ノ宮




 黄金町あたりにはチョンの間とか有ったのに、おっぱい公園ですらアウトなんだからそんなの存在できるわけがない。
 全部立ち退き取り壊しで、今ではシャレた文化施設なんて気取っちゃっていてちゃんちゃらおかしい。

 闇の部分が有るから明るいところが際立つんだよ。
 全部を明るくしたってしょうがないっていうのに。

 日の出町のストリップだって風前の灯。
 ヨコハマからは如何わしい文化がだんだん消えているっていうのに・・・。


神戸 三ノ宮




 観光客の浅い知識と感想で申し訳ないけれども、
 神戸に残されたガード下文化。
 大切にしてもらいたいなぁ。

 大阪じゃなく、神戸っていうところが良いんだよなぁ。




当然そのまま生田神社へ

 神戸といえば生田神社。

 神戸という名前の語源も生田神社から。
 神戸三宮の繁華街辺りは昔はすべて生田神社の境内だったのだとか。


神戸 生田神社




 立地の良さはピカイチ。
 天照大御神の妹と伝えられる稚日女尊を祀るため、安産や恋愛成就、縁結びにご利益があるらしいけれども、それも陣内、紀香のおかげで失笑の的に。
 恋愛は成就したとしても、長続きはしないということか。



神戸 生田神社




 あまりに繁華街にある生田神社。
 夜はシャッターが締まります。
 いつだったか、早朝に訪れたときは鉄格子のようなシャッターガラガラ閉店状態で中に入れなかったことが有りました。
 神様も時間制限があるのは仕方ないとしても、木の門にして閉めるとかやり方があろうにと思ったりも。ステンレスの皇子のシャッターじゃ・・・。
 そういうところに頓着しないから恋愛も長続きしないんだよと、成就すらしていないやつに言われたくないか(笑)



神戸 生田神社




 今日は流石に普通の時間。締め出しってことはありませんでした。
 境内に入れれば、そこはさすがの生田神社。
 陣内、紀香のこともとりあえず頭の隅に追いやられます。

 シャッター機能付きの楼門をくぐり境内へ。
 目に飛び込む建物の朱が美しい。
 天気が良かったからか特にそう感じるのかも。

 拝殿の凛とした姿はどこか女性的。
 繁華街に近いために参拝の人も絶えません。



神戸 生田神社




 本殿、拝殿の裏には生田の森が広がります。
 まぁ、森と言っちゃうと言い過ぎな気がしますが、林じゃかっこがつかないし・・・。
 鎮守の森だから、森で良いのか!


神戸 生田神社




 枕草子にも登場する生田の森。
 源平合戦では、一ノ谷の合戦の舞台に。
 生田の森に陣を引く平知盛率いる平家軍に対して源範頼率いる源氏の軍と大激突。
 一進一退を繰り返していた戦いは、義経の一の谷逆落しの急襲で決着!

 鹿が行き来できれば馬も下れるという義経。
 三浦では常日頃これより急な崖を下っているとうそぶく三浦一族の佐原義連。
 馬を失っては今後の戦いに影響すると、馬を背負って下る畠山重忠。
 関東武者はむちゃします。

 おかげで平家軍は大混乱。
 平家一門の多くを失い敗走へとつながります。


神戸 生田神社




 生田神社、恋愛もいかがわしければ、勝負運も厳しいみたい。
 稚日女尊が祭神では致し方なしか。
 でも、勝ち組の義経、源範頼、三浦一族にしたところで、みんな滅亡の憂き目なんだけれども。



神戸 生田神社




 それでも生田神社は、神戸の人に今も愛されているのです。
 (うーん、〆に無理がある)




そして湊川神社

 生田神社からの湊川神社。


神戸 喫茶店




 途中で朝食の休憩などをはさみながら。
 関西の喫茶店文化体験の、詳しい模様はこちらもどうぞ。
 「朝練の合間に茶店な朝食 -新開地のフリージア-」



 源平合戦の生田神社から、建武の新政湊川神社。
 鎌倉時代まるまる一つ分の時代誤差です。



神戸 湊川神社




 湊川神社は、言わずと知れた楠公さんこと楠木正成を祀る神社。
 鎌倉倒幕の立役者、楠木正成も余りの身分の低さから、建武の新政では厳しい立場に。
 足利尊氏の新政離脱の反乱を一度は九州に追いやったが、再び攻め上ってきた尊氏をこの地で迎え撃つことに。

 変幻自在の尊氏の策にともに戦う新田義貞は退却。
 取り残された楠木正成郎党はこの地ではてることとなるのでした。


 以降、後醍醐天皇は吉野に逃れて南朝を。
 尊氏は光明天皇を立てて北朝を樹立。
 南北朝時代へと進んでいくわけです。


 明治維新後、南朝を正当とする皇室の見解により楠木正成は忠臣として祭り上げられます。
 皇居にも銅像が立つほど。
 そして、神社を建てようということになり、政府主導で終焉の地湊川に創建されたのがこの湊川神社です。



神戸 湊川神社




 そのせいか、ちょっと女性的な生田神社に比べ、角が建ったというか、無骨感が漂う。
 表門すら朱塗りじゃないですから。


神戸 湊川神社




 境内は表門から社殿に向かって一直線。
 気持ちがいいくらいの清らかさです。



神戸 湊川神社




 巨大な社殿の裏には楠木正成殉節地が新緑の森の中に。
 楠一族が互いに刺し違えての殉死。七生滅賊の二生目がなかなか訪れないのが残念です。
 今の世の中、賊な連中ばかりですから。


神戸 湊川神社




 境内北西の地にある殉節地に対して、墓所は境内の東南隅に。
 実際墓石を建てたのは水戸黄門に使わされた佐々助三郎。
 時代はだいぶ後になります。
 お陰で幕末の尊王攘夷派がマイルもたまらないと言うのに参るわ参る。
 まぁ、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。敵の敵は見方、味方の味方はみな味方みたいな、そういう時代だったんだろうなぁ。

 そうそう、その近くには昭和になって建てられた水戸黄門の銅像があるんだけれども、これがどう見ても武士には見えない学舎風。
 あまりに虚弱体質風過ぎて到底全国行脚をしそうには見えないのが残念です。



神戸 湊川神社




 境内に有った楠稲荷神社の朱の鳥居と提灯が迫力だったなぁ。



神戸 湊川神社






おしまい

 というわけで、朝練終了。
 後はダラダラと時を過ごして夕方の飛行機で帰宅の途に。

 但馬か・・・生きているうちにはもう行くこともないだろうなぁ。
 最近どこに行ってもそんなことを思う。

 そういう歳になってしまったということで、生きとし生けるものの宿命なんだけれども。
 さて、今度はどこに行こう!
 そんなことを思えられる健康を大事にしなければ。







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