2014/08/10

スナップ寅さん 世界遺産の富岡製糸場見学! 14.08.10

富岡製糸場の写真



 お盆休み、軽井沢の友人の別荘に厄介になる途中、世界遺産の登録がされたばかりの富岡製糸場に行ってみました。


富岡製糸場の写真



 開門前から長蛇の列の富岡製糸場。
 さすが世界遺産登録の威力。
 自分もその混雑の一員なわけで、文句をいう立場ではありませんが。

富岡製糸場の写真



 富岡製糸場は明治5年、明治政府が設置した製糸場。
 鎖国明けの産業や科学技術の近代化のための資金集めに生糸の輸出に目をつけて、品質改善と生産性向上のための技術指導者育成のための模範工場を作ったのが始まり。

 この辺りの抜け目のなさってさすが明治政府って感じですが、そもそも、尊皇攘夷、異国人を打ち払えって倒幕をした連中が手のひら返しのこの対応。現実は理想どおりには行かないってことなのだろうけれども、倒幕された側は納得がいかないだろうなぁ。

 そんな工場建築の場所がなぜ富岡だったのかなど疑問はいろいろですが、これだけの近代工場が明治の時にいきなり誕生したんじゃ、このあたりの人は驚いただろうなぁ。

富岡製糸場の写真



 全国から、技術指導者になるための人が集められて、ここで生糸生産の技術を習って地元に帰る。
 でも、実際生糸が生産されたのってどれほどの地域だったのだろうか?
 諏訪の野麦峠の話は有名だけれども、日本中であんなことが行われていたのなら、良し悪しだよなぁ。
 人権なんてあってなかったような時代だから、養蚕、生糸でなければ別なことで同じようなことになっていただけなのだろうけれども。

富岡製糸場の写真



 工場内は鎖国の遅れを必死に取り戻そうとする政府の苦労がそこかしこに感じられて、明治の人たちのプライドが伝わる。
 その気持のベクトルがおかしな方向にずれて好戦国へと進んでいくことになるんだけれども。

 先見の明というか、一丸となる一体感というかそういう国民性があってこその近代化。 今となっては見習うことすらありえないかも。明治は遠くなりにけりかな。


富岡製糸場の写真



 やがて1893年に富岡製糸場は三井家に払い下げられ、1902年に原合名会社、1939年に片倉製糸紡績会社と経営母体は変わります。
 片倉製糸紡績会社は解雇の力で財閥となり、養蚕が盛んな諏訪であぁ野麦峠の悲劇を生むことになるのですが、あれは片倉財閥に限ったことではなく、富国強兵をうたう日本全国で行われていたことなのだろうけれども。

富岡製糸場の写真



 富岡製糸場は結果、1987年まで操業を続けたそう。
 今ある製糸の機会も当時のもの。総業を停止した後も片倉工業が保存に尽力して2005年に土地建物を富岡市に寄贈、2006年に主要建物が重要文化財の指定を受け、2014年世界遺産登録がなされたのです。
 日本の近代化を支えた遺産。よくぞ保存がなされたことを国民のひとりとして誇りに思います!

富岡製糸場の写真





高山社跡の写真



 富岡製糸場から、富岡製糸場と絹産業遺産群の構成遺産の一つ高山社跡に足を伸ばしてみました。
 高山社は、高山村の養蚕業者高山長五郎が設立した養蚕業の研究・教育機関。
 ここで、養蚕技術を研究教育して富岡で製糸を行うということだったみたい。養蚕の私学、専門学校みたいなものですね。
 富岡に製糸場を作るきっかけになったのも、この地で葉酸が盛んだったからというのが理由のようなので、地元への功績は計り知れません。

高山社跡の写真



 高山社跡の地には小さい建物が立つのみだけれども、養蚕の技術者を組織して全国に教え行脚が行われていたのだとか。
 養蚕の質の向上が日本の近代化を支えたのは事実。横浜に住んでいると生糸貿易で儲けた話はそこら中に落ちている。
 その源泉がここだったわけですね。
 金を儲けた側の話ではなく、基礎を固めた人たちの話ってなんだかいいですね。

 見どころ、見応えとしては富岡製糸場に比べてかなり見劣りはしますが、こんな山の中で個人が養蚕のためにいろいろ考え、それを教わりに全国から人が集まる。
 教育の大切さ・・・なんて一言で言ってしまうと薄っぺらですが。

 あまりの山の中、駐車場から高山社までちょっと歩くんだけれども、周りの景色が素晴らしかったなぁ・・・という情報。






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