2014/09/27

スナップ寅さん 伊勢原に彼岸花を見に 14.09.27 08:00

日向の彼岸花の写真



 伊勢原は日向に彼岸花を見に行ってきました。



 秋のこの季節、彼岸花の赤って魅力的な被写体です。

 横浜からほど近い伊勢原のそこそこ山の中に入った日向という部落は彼岸花で有名。
 彼岸花っていうのは根に毒があるとかで、昔から畦に植えてモグラよけなどに使われていたらしい。
 日向の田圃の畦に咲く彼岸花は、正しい姿を今に残すって感じ。
 牧歌的な風景にも引かれるのです。


 伊勢原の日向は正直今も陸の孤島。
 こんなところに住む人っていうのは、先祖がかなり悪いことをした人としか思えない。
 世を潜むにはちょうどいい場所っていうのは今も感じることが出来ます。

 でも、ここは日向薬師、浄発願寺など巨大寺院の門前町だったところ。
 今はその面影は薄いけれども、本当のところはどうだったんだろう?
 想像する由もありません。

 大山のちょうど裏手、大山街道に対する日陰道。
 裏街道の侘びしさは想像に容易いのだけれども。


日向の彼岸花の写真



 そんな日向の彼岸花。
 田圃の畦に整列です。

 田んぼの風景がなんとも言えない。
 牧歌的とひとくくりにするにはもったいないのです。

日向の彼岸花の写真



 こんな山の中の、猫の額のような平地に、田んぼがあって稲をそだてて米を作る。
 なんだか日本の縮図がここに感じられるのです。

日向の彼岸花の写真



 薬師如来に守られていると、きっと今も思っているはず。

日向の彼岸花の写真



 自然とともに生きる人の暮らしがここにあるのですから。



 日向のあぜ道から日陰道を経由して日向薬師へ。

日向の日陰道の写真



 日向薬師は高野山真言宗の寺院。
 かつては日向山霊山寺と称して子院13を数える大寺院だったとか。
 廃仏毀釈で衰退し、今は霊山寺の別当坊であった宝城坊が後を守っているそうです。

日向の日陰道の写真



 行基の開山と伝承される寺院は歴史の宝庫。
 仏像は重要文化財9件を含む多数の仏像が収蔵されている。

日向の日陰道の写真



 日本三大薬師に数えられることもあるとかで、その雰囲気はピカイチです。

 吾妻鏡では、北条政子の安産祈願をさせた寺院の一つとして登場。
 また、頼朝自身も娘大姫の病気の祈願に訪れているそうです。
 今、頼朝も通ったであろう参道を歩いているわけですネ。

日向の日陰道の写真



 森のなか、林の中を上がる参道は意識を鎌倉時代、平安時代へといざないます。


日向薬師の写真


日向薬師の写真



 途中にある山門がまた見事。
 二体の仁王像が迫力満点に薬師を守ります。

日向薬師の写真



 その先の鬱蒼の杜の参道を登り、最後の階段を上がれば重要文化財の本堂・・・なのですが、現在修復工事中。
 平成23年から7年間にも及ぶ工事。掛かり過ぎじゃない?
 まぁ、しかたがないことだけれども。
 本堂には足場が組まれて近づくことが出来ない。境内も所狭しと工事中。雰囲気は残念ながら台無しです。
 工事終了がまたれますが、まだまだ永遠なほど工期が残っています。

日向薬師の写真





 日向薬師が若干残念だったので、山の先にある浄発願寺跡に行ってみました。

 浄発願寺は四百年あまり前、木喰遊行の弾誓上人により開かれた天台宗弾誓派総本山。
 徳川家康が帰依し江戸時代には松寺18を誇る寺勢を誇ったそうです。

浄発願寺跡の写真



 江戸幕府の罪人を改心させて、罪人たちにより罪滅ぼしの石段を作らさせたりと、放火、殺人以外の罪に対して、男の駆け込み寺としての機能もあったらしいです。

 そんな浄発願寺も昭和13年(なんだかついこの間のことのような・・・)暴風雨に寄る土砂崩れのために堂宇ことごとく土中に飲み込まれ崩壊状態に。
 現在、復興中・・・とのことです。

浄発願寺跡の写真



 まぁ、土砂崩れで流れてしまうほどの山間部に浄発願寺跡はありました。
 もう登山と言わんばかりの参道をエッチらと登る。
 ヒル注意の看板にそんなこと言われても注意のしようがないだろうと弱音を吐きながら。

 途中、祀られている地蔵が応じを思わせる。

浄発願寺跡の写真



 別に何ってものがあるわけではないのです。
 本堂跡の礎石が残るのがせいぜい。

 山道を上がる苦労があったかどうかは疑問だけれども、折角なので訪れて見るには良いかもしれませんね。
 体力が余っているのなら・・・ですが。



 牧歌的な彼岸花の風景を求めて、彼岸花の季節に合わせて、年に一度の薬師詣で。
 工事終了までは、参拝のたびに欲求不満がのこりそうです。





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